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臨済宗と墓のまめ知識 | 室町時代

室町時代になると、臨済宗は、幕府など武家だけでなく、朝廷にも受け入れられたのです。禅宗が、建築や庭園、文学など、文化に影響を与え、権力者と結びついていた一方で、禅の教えを守り、修行を続けていた宗派があったのです。これは、臨済禅の目指すところが、平凡な日常の著衣喫飯事が、そのまま坐禅修道であり、人間の生活行為のすべてに真実を見るものなのです。江戸時代は、臨済宗の明暗の分かれた時代だったのです。

檀家制度ができたのは、この時代なのです。キリスト教を禁止していた江戸幕府によって、臨済宗は保護されたのです。禅とは、お釈迦様が深い瞑想のもとに悟った無我の境地を、坐禅や日常生活を通して体験し、自覚することなのです。こだわらず、とらわれず、迷いも欲望も苦悩もない、自然と同化した絶対的境地。それが本来、人間がもつ清浄な仏心そのものとなっているのです。檀家制度によって生活を保障された僧たちは、布教や修行をしなくなってしまったのです。日本の禅宗には、三つの宗旨臨済宗・曹洞宗・黄檗宗があり、臨済宗はその中のひとつとなっているのです。臨済宗の教えを臨済禅と呼ぶのです。

坐禅を宗旨の中心としているようですので、師匠から与えられた問題について工夫し、坐禅により身体で会得した見解を提示し、点検してもらいるのです。これをいわゆる禅問答入室参禅といい、このような坐禅修行を中心とする教えが臨済宗の教えとなっているのです。臨済宗を立て直したのは、盤珪永琢と白隠慧鶴の二人でした。彼らは、分かりやすい言葉で、人々に禅を伝えたのです。とくに、白隠禅師は臨済宗の中興の祖といわれ、今の日本の臨済宗のほとんどは、その流れをくんでいるといわれているのです。

中国嵩山少林寺にて坐禅の最中、後に弟子となる神光という青年が尋ねてきて教えを請うが、達磨さんは無言だったのです。神光は雪の中を一晩中立ち続け、夜明けを迎えたと言われているのです。その姿に達磨さんは初めて口を開き、仏の妙法を悟ることの難しさを伝えたのです。臨済宗の教えは、人間が生まれながらに誰もがそなえている尊厳で純粋な人間性を自ら悟ることによって、仏と寸分も違わぬ人間の尊さを把握するところにあるのです。






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